『境界概念』をYouTubeで公開することについて

2024年11月に開催した個展(ポートレート・コンサート)『境界概念』は、その当時の私にできることを注ぎ込み、理想的な演奏と想定を超えるお客様の来場で幕を閉じ、世の中に感謝しながらそのまま力尽きていたのですが、実はこの公演では録画を撮っておりました。4Kなので画質が良いです。

最近少し時間ができたのを機に、編集をして、YouTubeの再生リストにまとめました。

https://www.youtube.com/playlist?list=PLTc6MlClc3jc

この再生リストは、当日の演奏順にはなってません。しかしコンサートは「体験」なので、曲順って結構大事だと思っています。さらにリスナーは、配られたプログラムを読みながら順を追って音楽を、そしてコンサートそのものを咀嚼していきます。

せっかくなので、個々の動画を当日の曲順に並べ、また各曲のプログラムノートも添えてみました。

当日のプログラム順動画

讃歌(2022/23、映像版初演)
Anthem for alto saxophone & soundtrack
 サクソフォンとサウンドトラックのための作品として2022 年に作曲。初演者の加藤和也さんより委嘱を受けたときから、このライヴ版を映像作品として派生させることを想定していた。本日は公ではじめて上映される。
 歌には高揚させる力や暴力性があることを熟知した為政者たちは、近世以来それを長く利用してきた。ここでは国歌どうしの衝突を用て、21 世紀に入ってからの紛争を、実際に起こった年代順に並べて描いている(現在も続くウクライナ戦争は、この作品を構想した時点では始まっていなかったため含まれていない)。しかしナショナリズム的な性質を持つ歌は国歌だけではなく、意外に私たちの身近にもある。出演者が演奏するのは、そんな「当たり前にある音楽」である。

太平洋(2015/24、改訂初演)
L’Oceano Pacifico version for bass clarinet & viola
 2015 年にクラリネットとユーフォニアムのために書いた曲が元々のオリジナルであり、これをバスクラリネットとヴィオラのために編曲したものを本日初演する。楽器に合わせて全体を移調し、また随所で音域や四分音の分担などを調整したが、音楽そのものは変わっていない。「四分音衝突」はメインの要素としては用いられていないが、作曲当時の関心事として頻繁に現れている。
 原曲が日本から太平洋を挟んだサンディエゴで初演されたことからこのようなタイトルとしたが、それ以上の意味はない。

葉理(2018)
Lamina for guitar
 山田岳さんの委嘱により、2018 年に作曲。
 「葉理」とは地層の最小単位のことで、なおかつ薄い膜のような層の集合体でもある。私は曲を書き終わってもなお題名を決められない場合、感情的あるいは叙情的な印象を誘発しにくい地理や地質学などから言葉を拝借することがある。つまりこの曲を書いている時点では、地層のことを何もイメージしていなかった。
 6 本の弦のうち奇数弦は通常の音、偶数弦が4 分音に調弦されており、こうすると二つのずれた平均律が均等にひしめき合う。それはギターのようなフレットを持つ弦楽器では特に容易に実現できることである。そして「薄い音程」が積み重なると厚い音程になるのではなく、葉理のように最小単位を失わないまま、ある時は歪み、ある時は混濁し、またある時は軸にブレが生ずる音楽となる。

水平線を拡大する( 2024、初演)
Expanding the Horizon for flute, viola & harp
 本日初演される二つの作品のうち、この曲では四分音による歪みを横の軸、つまり線的書法の上で作用させようとしている。自ずと曲はシンプルな旋律様となるが、これは私がほぼ20年前にはじめた『モノディ』と呼んだ方法論に似ている。
 『モノディ』では、当時複雑化していた自分の書法を整理すべく、シンプルな音高からなる「核」を設定し、リズムや音程をずらしてブレさせるという手法を用いたが、当時はそこに四分音を導入してはいなかった。この曲ではむしろ四分音を衝突させることに徹しているので、同じ様な旋律作法とはいえ、その顕れ方はかなり違う。
 ちなみにドビュッシーが書いたこの編成による有名なソナタは109 年前のものだが、時代はおろか音楽に対する関心が異なると、ほぼ共通点が感じられないほど違う音楽になる。

ダンシング・オン・ザ・スレッショルド(2024)
Dancing on the Threshold for cello
 「チェロでやってみたいことを5 分間で」という与えられた条件の下、これまでほぼ書く機会がなかった擦弦楽器のソロ作品として、北嶋愛季さんの委嘱により今年の初頭に作曲。2 本の弦を四分音に調弦し、自然倍音(ハーモニクス)で衝突させる音を探す。そのうえで、私がときおり好んで書く「どこかの架空の地方にある舞曲のような音楽」を適用してみた。
 スレッショルド(Threshold)とは「しきい」のこと。物事を分かつ「しきい」(閾、あるいは敷居)の上で遊ぶように踊るのは、聖と俗の境界を行き来する中世の宗教者や芸人のような人達かもしれない、というのは作曲した後の空想の産物である。

境界(2021)
Boundary for alto saxophone & bass clarinet
 二つの楽器は、ペンタトニック(五音音階)から作られた「線」を、時間的に「ずれ」ながらエコーのようにゆっくりとなぞっていく。そのうえ二つの楽器がユニゾンで重なりそうなところも四分音でずれている。非常に近づくにもかかわらず同一となることも避けられているこの状態を、ここでは「境界」になぞらえている。
 日本史家の網野善彦(1928 〜2004)は、中世の日本において聖界と俗界を区別する領域があったとし、そこに生きる人々として「巫女」「遊行女婦(うかれめ)」「僧侶」といったマジカルな力を持つ人々を、さらに当時は神仏の関わりなしには行い得なかった、人々が間接的にモノを「交換」するための職業人として「商人」なども挙げている。自然と人間、あるいは神仏と俗物の間に横たわるこのような「境界」は、中世日本の社会の中で人々が交わるための重要な場——たとえば「市庭(市場)」など——として機能していたとされる。その神的な機能を象徴的に抽出し表したものが本作である。
 私が名古屋で関わるアンサンブル『音楽クラコ座』の公演にて初演された。

シュリーレン聴取法( 2024、初演)
Schlieren Listening for flute, clarinet, bassoon, guitar, harp, violin & cello
 前半に演奏された《水平線を拡大する》が横の軸で四分音を衝突させているのに対して、この曲は縦の軸を中心に四分音を操作している。したがってこの曲では和音の歪みが聴かれることになる。
 和音には古典的で調的な響きも用いている。しかし古典的な和声では個々の和音に性質や役割が与えられ、それが音楽の進行上重要な作用を及ぼすのに対して、ここでは和音どうしの機能的なつながりを意識的に排除しているため、音楽の進行には作用しない。そのため、和音の瞬間の響きに含まれる歪み(あるいは歪みの微細な変化)のほうが意識されるかもしれない。
 透明な気体や液体の中で、密度や温度、種類の異なる流体によって光の屈折が変わるときに、景色が歪んで見えることをシュリーレン現象といい、タイトルはここから拝借している。


動画を公開することについて

作曲家の三輪眞弘は、「録音したものを再生することによって聴かれる作品」を〈音楽〉ではないと考える1。これについては様々な意見があると思います。少なくとも、アコースティック楽器をメインの表現として使っている私の立場でも、ライブもYouTubeも同じですよ、とはまったくいえません。コンサートでは空間で特定の席に座りながら、自分の意思では中断できない演奏を聴くという「体験」を想定しています。これは窮屈なように思えますが、そういう状況に置かれることによって、より音楽を集中的に聴いていただけるため、楽曲を提供する側としては理想的です。

ではなぜ敢えて、自分からYouTubeに公開するのか、というと、「録音したもの」とはいえこれによって音楽が100%音楽でなくなるほどでもない、と私は思っているからです。YouTubeは自分で中断できるし、車の中とか、歩きながらでも聴くことが叶うので、ライブとは明らかに聴取体験は違います。しかしながら、それがどのような音楽なのか、音楽の形式はどうなっているのかという「楽曲理解」はそれなりに可能です。4分音の歪みや震えを体験するためにはライブが一番と思いながら、私の音楽はその4分音体験を万全の体制で受け取らなければわからない、とも考えていないので、動画での視聴はライブとはまた異なる聴取体験が可能であるという考えでこのように公開してみた、というわけです。

実は私の、特に四分音衝突をメインに使った作品では、自分では「いや〜、結構はまるんだけどなあ……」とまじまじと思うものの、「単純にリラックスしては聴けない」2というような意見もしばしばあり、そのようなリスナーにとっては、特定の席で自分の意思では中断できない聴き方よりはネット視聴で少しでも楽しんで戴ければ、とも思うわけです。そういう選択肢にも有効性があると考えると、良い時代になりました。

ただし、冒頭に上映した《讃歌》3はそもそもが映像作品であり、それ自体はコンサートで上映されてもネットで観たとしても、特に音楽的な面において体験の本質はあまり変わらないはずです。ではYouTube上ではなぜ全編ではなくトレイラーしか公開してないのか、と思われるかもしれません。しかしこれは動画作品であるために、公開してしまうと作品をそのまま出してしまうという権利的な問題があります。生演奏を録画という形で出すのは、生演奏の体験ではない故に、ある意味三輪眞弘的な「区別」を付けることができる一方で、動画作品はそれが難しい、という判断です。どうかご了承ください。

そんなわけで……実は『境界概念』を企画した段階から、コンテンツは動画化してアップしようと考えていたため、これにてようやく公演というひとつの「作品」が終了したことになります。ご視聴ありがとうございました。

  1. 三輪眞弘『三輪眞弘音楽芸術 全思考一九九八—二〇一〇』P.171、アルテスパブリッシング、2010。三輪はこのようなものを後年「録楽」と呼ぶようになる。本エントリーでいう「録画」(動画)は、「録楽」と同義に扱うことにした。 ↩︎
  2. サントリー音楽財団『日本の作曲2010-2019』p.82、アルテスパブリッシング、2022 ↩︎
  3. 《讃歌》(旧題は《賛歌》)は、はじめライブ版が初演され、動画版はその派生作品として作られている。動画版ははじめから作られることを想定してライブ版を制作した。ライブ版はソロ・サクソフォンとサウンド・トラックという編成。 ↩︎

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