[境界概念]作品について①《讃歌》(映像版)

11月6日の個展に向けて、演奏・上演される作品について書いていこうと思います。

先日の8月7日、加藤和也さんによって広島で再演された《讃歌》(2022)はアルトサックスとサウンドトラックのための作品ですが、当初から映像版に派生させることを想定していました。そもそも「映像作品」をそれまで作ったことがありませんでした。この映像版は2023年に制作しましたが、11月6日の個展「境界概念」で初めて公に公開されます。

コロナ禍の大学における授業動画制作や、これまで企画してきた数々のコンサートで撮影したもののおかげで、編集は素人なりにもできるようにはなっていましたが、撮影自体のスキルはないため、広島市立大学芸術学部の橋本健佑さんにお願いしました。出演者はもちろん初演者であり、委嘱者である加藤さんです。
※ちなみに加藤さん以外に映っている通行人は、本当にたまたま映り込んでいる地元の方々です。


この映像を撮るにあたり、加藤さんに広島市内のいくつかの場所を候補として挙げて戴き、事前調査した結果、基町アパート一箇所で撮影することにしました。元々は復興木造住宅(つまりはバラック)が立ち並んでいたところ、高度経済成長期に市が取り壊し、「メタボリズム建築」の大髙正人氏の設計により1978年に完成した巨大団地群です。

自分でもなぜかはわかりませんが、私はおよそ10年にひとつごとに社会的な意味を持つ作品を作ってきました。《無伴奏モノ・オペラ「想像風景」》(2000)は当時まだ音質が悪かった携帯電話を用いて、コミュニケーションツールとしての言葉が意味を失い放浪する、という作品。《永遠の光》(2012)は前年に起きた福島第一原発事故の建屋をコンサート会場に見立てた作品です。

(無伴奏モノ・オペラ《想像風景》:後半)
(永遠の光)

《讃歌》は昔から強く感じていた「歌」のもつ政治性を扱っています。プレイヤーは最後まで重音のみを気持ちよく鳴らしているものの、時々流れてくる「国歌」に翻弄されます。ここでの国歌の意味は何か、そして重音で奏でられているものは……?

個展で発表される作品のうち、社会的テーマをあからさまに持つものはこの作品のみなので、実はプログラムの中で「浮く」かもしれません。が、初めて作った映像作品ということで、せっかくなのでこの場で上映することにしました。プログラムの最初に上映予定なので、19:00の開演に遅れないようにお早めにお越しください!

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