新作《無言歌》を含むCD「Homage to Franco」

出版・録音|publish and recording, 初演|Premier, 演奏|Performance

The CD “Homage to Franco” including my piece Canto Senza Parole for piano has been released. It was performed by my university colleague, the wonderful pianist Kumi Uchimoto.

《失われたテキストを求めてIV》という女声合唱曲を2017年に書いたのですが、この3曲目をピアノソロ曲にしようと思い立ったのは、内本久美さんのアルバムに曲を提供することになったためです。このCDはフランコ・ドナトーニ没後20年に合わせてイタリアと日本の作曲家によるオマージュ、というコンセプトで、ドナトーニの弟子筋を中心に企画されたものですが、いろいろあって何故か私が(それこそドナトーニ筋とはまったく交差しない私が)参加することになりました。内本さんは大学の同僚で、以前「24 Preludes from Japan」という素晴らしいCDをリリースされているわけですが、今回も彼女が演奏すると聞いて参加しないはずがありません。完全なる新曲を書いても良かったのですが、まったく異なる表現媒体である女声合唱曲をピアノソロに移す、というのも面白かろうと思いつきました。音はほぼ同じとはいえ、媒体が違えば当然出てくるものは違うわけで、バッハのリチェルカーレをウェーベルンがオーケストラに「編曲」したぐらい違うものと私自身は思っています。

この手法における面白みはどこにあるのかというと、もともと女声合唱曲としてしか想定しなかった作品を後からあえて違う編成に移し替えることによって、たとえばこの場合、最初からピアノ曲として構想するのとは全く違う書法で書くことになる、ということにあります。元の合唱曲の特にこの「3曲目」は極めてポリフォニックな書き方になっていて、あえてピアノ曲でそのような書き方をしなければならない必然性がなく、だからこそ自分が想定しなかった音楽になる、というわけです。このような書き方は実は初めてではありません。かつてピアノ曲として書いた《東京舞曲》(2010)をのちに5楽器(ピッコロ、バスクラリネッド、トランペット、チェロ、ピアノという奇妙な組み合わせ)の室内楽版(2013)に移し替えたことがあります。そして《紐育舞曲》(2016)ではこの手法を応用、すなわち最初に楽器を意図的に想定せずコンデンススコアを作り、次にそれをピッコロ、バスクラリネッド、フリューゲルホルン、ヴァイオリン、ピアノの5楽器編成に振り分けたことがあります。この2曲で用いた方法は、はじめ楽器の機能や音色に縛られずに音を決め、後に各楽器に振り分ける時に想定しなかった楽器書法を採用せざるを得ないことが特徴です。ここでは「音響」「音色」といった楽器に依存する要素は後から強引に決められるため、良い意味でのアンバランスな音楽を作れる可能性があります。

話が大きくそれました。今回のピアノ曲は当初意図しなかったとはいえ、このように「多少無理して」ピアノ曲にすることを「積極的に」行ったといえます。ちなみにタイトルの《無言歌》には、『「失われたテキストを求めてIV」へのひとつの解』というサブタイトルがついています。これは原曲の合唱曲にそもそもテキストが定められてなく、演奏者が自由にテキストを当てはめる、という方法を採る曲であることから来ています。このピアノ版はもはや声楽曲ではないため《無言歌》ということです。

Da Vinci Classics C00351

CDの参加作曲家は、イタリアからA.コンスタンティーニ、F.ロッシ・レ、F.ジリオーリ、G.P.ルッピ、S.ボー、日本からは私の他に小林聡、久留智之、成本理香、徳永崇という面々です。実は私の手元にはまだこのディスクが届いていないので、他の作品はまったく知らないのですが、おそらく期待を裏切らないのではないかと楽しみにしています。